• ~サラリーマンパパの子育て教育いろは~

将来について自分が中学生の時に考えていたこと

ワールドカップの決勝戦、クロアチア対フランスの試合を見ながらの投稿になります。

ここまできたら、クロアチアに優勝してほしいなと思いつつ、近くでスマホをいじっている長男のことについて書いてみます。

 

が、今、フランスが1点入れてしまいました。

自分が中学生だったとき

 

 

これについては、ずいぶんと考えたし、長男にも話してきました。

自分が中学生だったときのことを考えると、いい学校に入って、いい会社に入るのが幸せだという昭和の受験戦争時代の価値観に反発しつつも染められていた気がします。

当時は、家族ゲーム(長渕剛)や金八先生、積木くずし、などがはやっていました。

尾崎豊は、盗んだバイクで走りだしたり、夜の校舎窓ガラス壊してまわったりすることを歌ってしました。

両親には、もっとうまい伝え方があるだろうと思うのですが、大学の序列を普段から話題にしていて、将来自分の子供がどこの学校にいくかわからないにも関わらず、あの大学はどーだのこーだのいってディスっていたのを覚えています。

両親とも東京のいわるゆ難関私立大学を卒業して田舎に帰ってきたという経歴で、特に母は、女子の大学進学率が著しく低い時代に、田舎から東京の大学に入学したことにプライドをもっていました。

本人は、何かおもうところがあり、自分の可能性にチャレンジすることや何かを学ぶために大学に行きたいと思い、努力して入学したのだと思いますが、子供にはそうした本質的なことはうまく伝えられず、いい学校にいくことが人生の成功なんだといったゆがんだメッセージになっていたような気がします。

しかし、今になって思うと、世の中には国立大学があり、本当に優秀な学生は国立大学を受験していたのではないかと思うのですが、理科や数学ができないからということで私立文系、英語、国語、社会に特化した受験をした成功体験を押し付けるではないですが、子供にも推奨しているような感じがして、国立大学や理数系、その他、資格や技術を学ぶ学校という選択肢は考えてなかったような気がします。

とりあえず、勉強をしなければいけないと思い、それなりにしたのは、漠然とですが私立大学への進学と、親が求めている、喜ぶことであるから勉強をしていたのかと思います。

その後、複雑な事情もからんで、何のために勉強をしているのかわからなくなったり、大学についても、学校ごとの特色やどんな強みがあったり、何を勉強するべきかといったことは考えることはなく、私立大学、文系のゆがんだ学校の序列の世界観に洗脳というかとらわれていて自由な発想もなかった気がします。

東京に行くこと

 

 

 

田舎にいる人は、そう思う人が多いかもしれませんが、そうした中で東京に行きたいという気持ちはでてきました。

何か、閉塞感を打破するためには、東京に行けば何か変わるのではないか、ドラマの世界にあこがれるような気持ちがでてきて、充分な時間や戦略があるわけではないですが、東京の学校にいくために勉強をしようという気持ちはあったのかと思います。

これは、長渕剛の「とんぼ」という歌に、「死にたいくらいにあこがれた、花の都、大東京」といったフレーズがあったり、クリスタルキングの「大都会」で「ああ、果てしない夢をおいつづけ」とか、斎藤由貴の「卒業」で「だけど、東京で変わってく、あなたの未来はしばれない」とかいろいろな上京ソングで歌われています。

 

 

現実は甘くない

 

 

しかし、東京は決してあまいところではないですし、人はやさしくないと思ったりしたことも何度もありました。

あまり、考えてなかったのですが、アウェーの戦いになりますし、自分の考え方もゆがんでしまい、運もひらけることもないまま何年も過ぎてしまいました。

 

 

自分の好きなことで可能性を拓くべき

 

 

いろいろ、うまくいかない中で、しがみついたのは英語でした。

思い出すと、受験とか関係なく語学には興味があり、小学校高学年頃?だったか、フランス語入門、スペイン語入門、ラテン語入門、ロシア語入門といった本を読んだり、マンガのパタリロで、ロシアのスパイ組織、KGBはカーゲーベーと発音するんだとか、ロシア語は、はいが「ダー」でいいえが、「ニエット」なんだということにへーと思ったりしていました。

英語は、成績が一時期、落ち込んだこともありましたが、自分の得意科目であったということと、アメリカ人の先生に、「You are talented.あなたは才能がある」と言われたことが嬉しかったり、アメリカ西海岸にホームスティしたときのホストファミリーに感謝の気持ちを伝えたいのに、Thank you しかいえない自分がもどかしくて絶対に英語をしゃべりたいと決心してから、ずっといまにいたるまで英語を勉強し続けて、家族と食べていくための仕事も英語を使って生きています。

 

 

まとめ

 

 

まとまりのない文章になってしまいましたが、なぜ勉強をしなければいけないのか、自分を振り返っても思うのは、いずれ社会人となったときに何か社会に貢献しながら、お金を稼ぎ、家族を幸せにするため、自分の可能性を拓くためなのではないかと感じます。

大学もいろいろありますが、世間にでてから、学歴が背番号のようについてまわり、必ず聞かれますし、他人のことも学歴で判断している部分がないとはいえません。

就職や転職の時にも、いわゆる学歴フィルターが存在しているのも事実だと思います。

そういう意味では、卒業した大学は、トップではないものの、履歴書でも足切りにはあわないことも多かったのかもしれませんし、学歴は関係ないとは言えないことも感じているので、自分が好きなことができる場所はどこなのかを考えつつ、そこそこの大学には入学したほうがいいとも思います。

結局、親は料理のメニューを決めて用意することはできても、子供の代わりに食べることはできませんので、子供が自分で考えて決めるのを待つしかできないのです。

答えは簡単にでるものではありませんが、まだしばらく、息子と向き合っていきたいと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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