雨が多かったり、暑くなってきて、気がつけば6月。時間はたつのは早いなあと感じます。
崋人の友人から急に一週間の日本ツアーに参加するとかになって、平日だけど会えないかと連絡がありました。
彼と知り合ったのはもう20年以上前のクアラルンプール。
お互い子供も生まれ、実家に泊まりに行ったり、家族ぐるみのつきあいをしてきました。
直近で会ったのはコロナ前の6年前でしたが、今回も少しの時間でもと思い羽田の近くのホテルで妻と長男と会うことに。(二男は中学があるためにビデオメッセージのみ。)
久しぶりにあって、お互いの近況を話していたら、彼のお母さんが3月に亡くなられたことを聞いて驚きました。
89歳だったそうで、特に病気をしたわけでもなく、ある日起きられなくなって、そのまま長い病気をするわけでもない往生だったとのこと。
確実に時間はすぎているのを実感しました。
6年前、彼の家に家族で宿泊したときに、とても優しく子供たちが遊んでいるのを見守ってくれたお母さんの姿が思い出されました。
セレモニーの話で49日はやる、日本と同じだと聞いて、仏教は一緒なんだと普段はあまり感じない宗教のことも考えました。
インドから中国、韓国、日本、東南アジアと歴史と共に広がっていった上に現在があり、自分も存在していることを。
人生は短い。
明日は今日と同じであるかわからないから、元気なうちに、行きたいところに行き、会いたい人に会って人生楽しんだ方がいい。
お金は残しても使えなかったらしょうがない。
あらゆるものの価格をマレーシアリンギと日本円と米ドルに一瞬にして暗算で換算するけど、それは無駄なことにはお金を使わず、本当に価値のあることに使おうという哲学をもっているようで、日本とはまた違う価値観を感じます。
→今回の旅行も、飛行機はLCCでも買い物はきっちりしたらメリハリを感じました。
チャイニーズが、金製品を身につけているのは、いざという時に役立つからで、ベトナム戦争の時、金の指輪を渡してボートで逃げたとか、そういう話が実際に親戚とか知人のリアルな経験として共有されてるのも日本では考えられないことです。
マレーシアンチャイニーズの間は、広東語、北京語、福建語などがしゃべられていますが、それは三世代前にそれぞれの土地から移民してきたから話されているということで、同じ漢字の名字でも発音が違います。
たとえば王さんは、
WANG
WONG
ONG
ワン、ヲング、オング、
のようになります。
ただ中華学校では、北京語、普通語、プートンファ、マンダリンが教えられていて、チャイニーズの間の共通語になっているそうです。
日本は工業がサムソンにも勝てなくなったし、これからは観光業じゃないかともはなしました。
息子さんは、鬼滅の刃、ワンピース、ナルトとかが好きで日本のアニメ、漫画も世界に人気が広がってるのも実感しました。
久しぶりに旧交を温めることができたのは本当に良かったし、今後の自分の生き方にも影響与えるような話もできました。
そして息子にはチケットさえとれば、クアラルンプールに来たら、うちに泊まればいいよ、英語の勉強に来ればとも言ってくれたのも嬉しかったです。
家族のこと、仕事のことを考えるのはどこでも同じだなあと思ったり、東アジアの文化の共通点、日本とは違う視点や価値観に触れられるのは面白いし、やっぱり自分は外国人との交流することがライフワークなのかな、今後もできる範囲で海外とのやりとりを続けたいと思いました。