2025年の終わり、実家で子どもたち、息子たちと甥、姪の声を聞きながら、My Little Loverを聴いていた。
なぜ今、この音楽がこんなにも沁みるのか、自分でも少し不思議だった。そんなに好きな歌手でもなかったし、リアルすごいいきいていたわけでもないから。
90年代のカウントダウンを見ていて、懐かしさだけじゃない、当時とはまったく違う感じでささるものがある。
Man & WomanやHello, Againの歌詞にある「君は少し泣いた? あの時見えなかった」という視線や、「下校時刻の昔の私がいる」「未来はまだわからなくて がむしゃらさとさめてた打算がまざって」という言葉が、なぜか今の自分の中に静かに重なってくる。努力したから救われた、乗り越えたから晴れた、という物語じゃない。「夜の間でさえ 季節は変わって行く」「雨は やがて あがっていた」という、ただ生きていたら時間が進んでいたという語り。その距離感が、今の自分にはちょうどいい。
父がちょっと体調を崩して、どうにもならない時間が過ぎていく。
人は頑張り続けなくても、抗わなくても、生活は進み、感情は確かにそこに残るのだと、身体のほうが先に理解していった気がする。
生きるのは、「積み重ね」なのだ。そんな中で妻の存在もまた、同じ文脈で思い出される。妻は決してセンチメンタルな人ではないけれど、時間を信じて生活を組み立てる人だ。結婚したとき、「これからは一緒に旅行しよう」と言った言葉は、夢でも理想でもなく、ただの生活だ。Man & Womanの「優しく抱きしめたり 時々激しく求めたりして生きてる」という一節は、恋愛の高揚というより、人が人として生きるリズムそのものの肯定に聞こえる。記憶の中で生き続ける二人、限界を知るために生きているわけじゃないという言葉、そしてそれでも新しい扉を開けて海に出る感覚。それは前向きというより、時間の中に身を置く覚悟に近い。今年の終わりにMy Little Loverが響いたのは、きっと自分が「ひとりではない場所」で、時間を受け入れられる位置に来たからなのだと思う。はっきり言葉にしなくても、感情は嘘じゃなかったし、季節は確かに変わっていた。そう理解できたこと自体が、今年を締めくくる静かな救いだった。