2019年1月、マレーシアから華人の友人、CLS氏ファミリーが来日して
東京で会いました。
マレーシアから日本を旅行するのは、2013年からビザが免除され、マレーシア企業である、格安航空(LCC)のエアアジアが
クアラルンプール ⇔ 羽田空港(2010年12月9日から就航)
クアラルンプール ⇔ 関西空港(2011年11月30日から就航)
便を就航しており、中流のマレーシア人が簡単に旅行できるようになっています。
日本に在住していると、日本と韓国はまったく違う国で、むしろ外交関係は悪化していると感じますが、マレーシア人にとっては、日本も韓国も人気の旅行先で、東アジアの隣国どうしで近いイメージをもっているようです。
これも外国にいくと感じることですが、
家電では、ソニーとサムソン、
自動車では、トヨタ、ホンダに対するヒュンダイ
がブランドを競っていて、日韓のイメージがダブって見えるということがあるんだろうなと思います。
私がマレーシアに駐在していたのは、2001年~2004年頃で、当時マレーシアに行ったことはなく、中学校の地理で習った、天然ゴムと錫と当時世界で一番高いビルといわれていた、
ペトロナスツインタワーのイメージしかありませんでした。
CLS氏は、クアラルンプールへの駐在が決まったあと、当時駐在していたソウルのオフィスに電話をしてくれて、「PCのセットどうしますか。」といった会話をしたのが初めてで、18年以上前のことになります。
CLS氏は、マレーシア生活のシーフー(中国語で師匠)として、本当によく面倒を見てくれて楽しい思い出がいっぱいあります。
ランチの時には、彼のランチ仲間にいれてもらって、
一緒に食べた「ワンタンミードライ(チャーシューやきそば)」は、本当においしかったです。
2001年の9.11「アメリカ同時多発テロ事件」
の発生時には、
四半期ごとの経営数値見込み資料を作成するための残業で
会社で隣のデスクで仕事をしていました。
なぜか、CLS氏はテレビで放映されていた、ターミネーター見ながら仕事をしていた記憶があり、残業時にはマクドナルドへのデリバリーをマレー語で頼んでくれました。
私は性格的に、すぐに驚いたりあせったりするところがあるのですが、CLSさんは面白いけれども落ち着いた人で、
「心配するな、大丈夫だよ。」
という人で、例えば、会社でサンダルを履いていたのでどうしたのかと聞いたら、
「靴を間違えて忘れたんだよ。」と平然という人でした。
日本では、あまりいないタイプで、いわゆる大陸的な人で「大人」というのかふところの深さを感じさせる人でした。
車を買うべきかどうか迷っていたときにも、
「車があると平日の夜に夫婦で映画を見に行ったりとか車がないとできないことができる。車があることで人生が楽しめるよ」といった話をしたこともありました。
会社の社員旅行で、クラブMEDの観光地で一緒に酒を飲んでよっぱらったり、2002年の日韓ワールドカップで、試合の結果をを賭けてみたり、本当に楽しい時間を一緒にすごせました。
マレーシアは日本以外で一番長く滞在した国であり、欧米とは違い、日本と共通するアジア文化の中で、20年近くたった今でも友人たちと交流していて、お互いの子供どうしで遊んだり、貴重な財産だと思っています。
まったく英語に関係ない話が続いたので、少しだけ英語の話を書きます。
マレーシアで私の英語力を伸ばすことができたと思います。
アメリカは、自分以外は母国語として話していますが、マレーシアではマレー系、インド系、中華系がそれぞれの民族の母国語を話、共通語としてマレー語と英語を話しています。
たとえば、ランチにいくときにCLSさんは、
「Go to where?」
と話してびっくりしたことを思い出します。
これは、広東語の「ニーチーナーリ」を直訳して、
「Where shall we go?」
ではなく、中国語の発想で話してるなあと感じました。
また、スーパーのレジでも、ビニール袋をもらえますかという質問に、
「Can can!(キャンキャン)」
と答えたり、
スキャンできない商品に対して、
「Can not scan lah!(キャンナトスキャン ラー)」
かなり自由で英語をしゃべるハードルが低くなりましたし、まちがっていようと、発音が悪かろうと、バカにされることはないので、英語でのコミュニケーションが上達しました。
この最後に「lah(ラー)」をつけるのはシンガポールの英語(シングリッシュ)とマレーシアの英語(マングリッシュ)の特徴ですね。
マレーシアとシンガポールは歴史的に、イギリスの植民地、イギリス領マラヤから第二次世界大戦後1957年にマラヤ連邦としてシンガポールもマレーシアも同じ国家として独立したのち1963年にシンガポールだけマラヤ連邦から独立した経緯があり兄弟国家といえます。
また、マレーシア人がアクセントの強い英語でも堂々と欧米人に話をしてわたりあっているのをみて、これでいいんだ、英語を話す目的はコミニュケーションであって発音や文法の正確さではないんだということを実感できたのです。
2004年当時は日本人がマレーシアに留学するのは一般的ではありませんでしたが、2019年1月現在、マレーシアへの留学は欧米より費用が安く、欧米の大学の学位を取得できるコースもあり人気になってきています。
マレーシアについての記事は今後も書いていきたいと思います。