最近のことですが、長男がどうしてもいきたいというので、平日夜7時から8時半という時間で、ちょっと遠い会場だけどいってきました。
「ビリギャル」は、2年くらい前にレンタルDVDを借りて家族で家でみた映画です。
内容を簡単に言ってしまえば、
「学年でビリだったギャルが高校2年生から勉強して偏差値を40以上上げて慶応大学に合格した話」
映画は有村架純さん主演で、学校とは、家族愛とは、頑張ること、人として認められることって何かを表現していて、いい映画だったなあと思っていました。
長男は、学校で今度ビリギャルの講演会があるというのを知って、
「あれって実話だよね。それでビリギャル本人がくるんだよね。絶対いきたいから連れてってよ。」
と本当に楽しみにしていたので、チケットの取り方を検索して、ライブポケットというサイトで予約しました。
http://t.livepocket.jp/inquiry
チケットぴあとかの窓口でもなくコンビニでもなく、今は新しいチケット販売方法があるんだなあと思いつつ、当日は無事にメールで受信したチケットをQRコードで提示して入場しました。
10年前には考えられない仕組みです。
講演について
ビリギャル本人、小林さやかさんの話は、実体験と大学院で勉強されてるという知識に基づいていて大変面白くて、長男も私も飽きることなくあっという間に、時間オーバーのため質疑応答もなく一時間半超の講演が終了しました。
「父親として個人的に印象に残った話は」
「勉強しろと100万回言ったところで絶対に勉強しない。」
「なぜ、勉強するのか。
死んだ侍がやったこととか、サインとかコサインとかなんの役にたつのかとおもってたんだよね。
でも、生きてくために勉強するってことなのかと思うよ。
小中高はゲームでいえば戦うための武器を手に入れる。
大学は武器の使い方を習う。社会人になって、武器を使ってお金を稼ぐ。
そういう仕組みなんじゃないのかな。
もし、将来、愛する誰かとであって結婚して家族ができたら、その時に戦う力、守る力がないと、だまされたりしないで、お金を稼ぐため、自分のためではなく誰かのために勉強するって考えるとどうだろう。」
といったお話が印象に残りました。
小林さやかさんが講演した学校は、テストの平均点があがったともお話されてました。
「長男が印象に残った話は」
長男は、講演面白かったので全く寝ることもなく最後までメモをとりながら熱心に聞いていました。
彼にヒットしたのは、
「ギャルって忙しい、毎日カラオケいったり、プリクラとらなきゃいけないでしょ。合コンするには、メンバー決める、スケジュール調整する、その場を盛り上げるとか、考えなきゃいけないことがたくさんあるんだよね。
その時に学んだだことは今ここで講演でしゃべるのに役立ってるよ。
最近は、若い子達は合コンしないみたいだけど合コンやるのはよいと思うよ。」
というお話と、
「もう、周囲に宣言して、自分の友達だけでなく、妹が習字で「慶應」ってかいて、お姉ちゃん慶応受けるんだってということが広まっったことで、引くに引けなくなって、1日15時間の勉強に耐えられたんだよね。」
といった話にひっかかってました。
そして、
「僕も生徒会役員に、でるんだと周りにいってやるしかなくなったんだよね。話聞けて良かったよ。」
と喜んでました。
「何のために勉強するのか」
自分も含めて、あるいは自分の親(祖父母)も含めて、子供にちゃんと説明する事ってできてないんじゃないか、でも、ちゃんと説明しなければいけないんじゃないかと思いました。
ビリギャルの弟は、無理やりやらされていた野球をやめたあと、ビリギャルを指導した塾の坪田先生に、
「神様が、プラチナケットを用意してくれた。何でもやりたいことに必要なお金も、知識も体力もすべて与えられる。あなたは、そのチケットになにを書きますか?」
という質問されたときに、
「何もない。何をしたらいいのかわからないし、やりたいことも夢もない。」
とファミレスで泣きながら、何も答えられない人間になってしまったと話したそうです。
駅の改札の切符切ってた人って、今はいなくなってしまって駅はすべて自動改札になってます。
30年前あたりまえだったことが変わってしまうのが現実だけど、親は子供より先にいなくなります。
親が勉強しろというのは、子供が自分でビジョンを考えることができるようになること、人に愛されて周りのサポートをもらえて生きていけるようになることなのではないのか。
でも、そういう思いは勉強しなさいといってるだけでは伝わらない。
「勉強しなさい」
とか命令形はよくない。
「私は勉強してほしいと思ってる。」
といった英語の
「I」
を主語にする言い方でコミニュケーションとることからはじめよう。
ビリギャルは、学校教育あわなかったようで、「ティーチ」ではなく「コーチ」が必要なんだ。
「ティーチ」は一方的だけど「コーチ」は相手を認めて目標のところまでガイドしてくれる、連れていってくれる存在。現実には、ビリギャルの母とか塾の先生はいないという人は、親でも先生でもないだれかでも、ビリギャルの本でもよいから、そういうコーチを見つけてほしい。
というメッセージが伝わりました。
Doingではなく、
Havingでもなく、
Beingで認める。
何をしたからとか、
何をもってるとかできるでなく、
存在してるだけであなたを認めているんだよと。
それがなければ、親の
「勉強してほしい」
という言葉の意味は
「あなたにいきる力を身につけて幸せになってほしい」
という愛情でありメッセージなんだと言うことは伝わらないということなのかなと思いました。
現実には、明日起きたら突然頭が良くなってたとかそういうことはないですが、ビリギャルの話を聞きたいという気持ちは何とかしなきゃ、頑張りたいという気持ちを長男が持ってるということだと思うので、少しでもよいコーチになれればよいなと思っています。