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2020年7月29日: 高校受験勉強日本史 明治時代について

気がつけば、もう7月も終わりがみえてきました。

本日は、コロナの新規感染者が初めて1000人を超え、

これまで感染者がいなかった岩手県でも感染者が

確認されたようです。

 

長男の友達は塾の夏期講習で朝から夕方まで

勉強するというのを聞いて、さすがに長男も

少しはあせりがでてきたようですが、基本的に

自宅で両親と勉強するという方針には変更ありません。

 

さて、明治時代について、一応まとめて

長男ともざくっと話をしました。

 

これでばっちりというわけにはいきませんが、

少しは参考になるようなので、プリントは続けたいと

いっていますので、現代史についてはもう少し、

頑張ろかなと思っています。

 

幕末・明治時代のまとめ
時代 人物 説明 年号・語呂合わせ
1 幕末・明治 木戸孝允 長州藩出身。薩長同盟を結び、幕府を倒す。明治政府でも要職につき、五箇条の御誓文(明治政府の方針)を提言。 1858年(人はこわがる)
安政の大獄
2 幕末・明治 福沢諭吉 中津藩(大分県)出身。西洋の文化や習慣を紹介し、文明開化に影響を与えた。 1860年 勝海舟と一緒に咸臨丸でアメリカに渡る。
3 幕末・明治 大久保利通 薩摩藩の中心人物。倒幕を成功させ、明治政府で要職につく。岩倉使節団(欧米諸国を視察。不平等条約の改正も目指すため。)に参加。廃藩置県などで中央集権国家を確立。 1863年(いやむざんなり)
薩英戦争。薩摩がイギリスに敗北。
4 幕末・明治 西郷隆盛 薩摩藩の中心人物。長州と薩長同盟を結ぶ。戊辰戦争では、勝海舟と会談をして江戸城を無血開城させた。
(大きな内戦を回避した。)
明治政府では、征韓論争に敗れて辞任。新政府に不満を持つ士族とともに西南戦争をおこしたが敗れて亡くなった。
1866年(いちやろんろん)
薩長同盟
5 幕末・明治 明治天皇 1867年の大政奉還をうけて、政権を朝廷に取り戻した。 1867年 徳川の(いっぱむなしく)大政奉還
1868年 (ひとつやろうや)明治新政府。五箇条の御誓文発表
幕末・明治 福沢諭吉 1868年 慶応義塾を開塾
6 幕末・明治 岩倉具視 公家。江戸幕府を倒して、王政復古に尽力。岩倉使節団の大使として欧米を視察。 1870年 欧米に使節団が派遣された。
7 幕末・明治 明治天皇 1867年の大政奉還をうけて、政権を朝廷に取り戻した。 1871年(はんとはいわない)廃藩置県。四民平等。
幕末・明治 福沢諭吉 1872年 「学問のすゝめ」を発表。
8 明治 富岡製糸場
1872年(明治5年)
明治政府による殖産興業(西洋の国々と対抗し、渡り合うために産業などの近代化を目指した政策)の一環建設。
明治政府が新しい産業のお手本になるような工場をを官営模範工場と言う。その代表が富岡製糸場です。群馬県富岡市にあった糸を作る工場で、2014年6月にユネスコ(UNESCO)世界文化遺産に登録されました。
9 幕末・明治 明治天皇 1867年の大政奉還をうけて、政権を朝廷に取り戻した。 1872年 新橋ー横浜に初の鉄道が開通。
1873年(ひとはなみだ)の地租改正。土地の値段の3%を現金で納税させた。
幕末・明治 西郷隆盛 薩摩藩の中心人物。長州と薩長同盟を結ぶ。戊辰戦争では、勝海舟と会談をして江戸城を無血開城させた。明治政府では、征韓論争に敗れて辞任。新政府に不満を持つ士族とともに西南戦争をおこしたが敗れて亡くなった。 1877年(火花ながめる)西南戦争。西郷隆盛を中心に士族が反乱を起こしたが、新政府に敗れる。
11 幕末・明治 板垣退助 土佐藩出身。戊辰戦争で活躍。明治政府で参議となるが、西郷とともに征韓論争に敗れて辞職。自由民権運動の先頭にたち、自由党の総裁となった。 1881年(党派はいたがき)
板垣退助が自由党を結成。
12 幕末・明治 伊藤博文 長州藩出身。明治政府では岩倉使節団に副詞として参加し、欧米を視察。大日本帝国憲法の制定に尽力し、初代内閣総理大臣に就任した。朝鮮の独立運動家、安重根に満州のハルビン駅で暗殺された。 1889年(いちはやく)
大日本帝国憲法を作った伊藤博文。アジアで初めての立憲政治。
1890年(日は暮れて)第一回帝国議会が開かれる。
1890年 教育勅語発布。道徳と教育の基本方針が天皇の名前で全国の学校に伝えられる。
13 幕末・明治 陸奥宗光 紀州藩出身。藩閥政治に反対して明治政府を辞職。欧州に留学し、帰国後外務大臣として、領事裁判権の撤廃に成功。不平等条約を改正した。日清戦争後の下関条約をまとめて調印した。 1894年(いっぱつ急所に)日清戦争。朝鮮をめぐって清と対立した日本が清と戦争。
14 明治 大隈重信 佐賀藩出身。明治政府では、地租改正、殖産興業、太陽暦の採用などを進めた。1898年および1914年~16年、総理大臣となった。早稲田大学を設立。 1898年 総理大臣になる。板垣退助と協力し、第一次 大隈内閣が成立。
15 明治 田中正造 栃木県出身。第一回衆議院議員選挙に当選し衆議院議員となった。足尾銅山の鉱毒問題にとりくみ、明治天皇に直訴しようとした。 1901年 足尾銅山について天皇に直訴をしようとした。
16 明治 東郷平八郎 日露戦争の連合艦隊司令長官。ロシアのバルチック艦隊を全滅させた。 1902年(遠くをにらんで)日英同盟。ロシアの東アジアの進出を恐れたイギリスと日本が同盟。
1904年(ひとつくれよと)日露戦争。日清戦争の10年後。満州、韓国をめぐる対立から日露戦争。
17 明治 内村鑑三 札幌農学校(クラーク博士の「少年よ大志を抱け」で有名)を卒業後、アメリカの大学に留学。反戦、平和を唱えた思想家、新聞記者。 1904年 日露戦争に反対。独自の無教会主義で、キリスト教の教えを主張した。
18 明治 小村寿太郎 桂太郎内閣の外務大臣。日露戦争後のポーツマス条約を締結。不平等条約の改正も進めた。 1905年 アメリカの仲介によりポーツマス条約が締結。日本が勝利したが、内容に国民が不満をもった。
明治 伊藤博文 韓国統監府の初代統監になる。 1905年 韓国を日本の保護国にして、韓国統監府を置く。
1909年 安重根に伊藤博文が暗殺される。
1910年(いく十年)日本が韓国併合をする。1945年の太平洋戦争終戦まで35年間支配する。
19 明治 小村寿太郎 1911年(低い位置) 小村がんばり関税自主権を回復。
明治 大隈重信 1914年~16年 総理大臣になる。(第二次大隈内閣)
1914年(いくひと)死んだ、第一次世界大戦。ドイツ中心の同盟国とイギリス中心の連合国が対立して世界大戦がはじまる。日本は日英同盟のもと、ドイツに宣戦布告して参戦。
ここから文化
20 明治 森鷗外 陸軍の軍医としてドイツに滞在。帰国後、小説や翻訳作品を発表。「舞姫」、「阿部一族」など。 1890年 舞姫を発表
21 明治 北里柴三郎 ドイツに留学し、細菌学者のコッホに師事した。伝染病研究所、北里研究所を設立。福沢諭吉と協力し、慶應義塾大学医学部を設立。 1894年 ペスト菌を発見
22 明治 樋口一葉 「たけくらべ」で有名なロマン主義の作家。 1895年 「たけくらべ」 発表
23 明治 岡倉天心 全国の古社寺を調べ、日本の古美術を見直した。日本美術院を創立し日本画の創造に努力した。 1889年 東京美術学校を開校。横山大観(日本画を確立)、下村観山(日本画家)らを育てた。
24 明治 黒田清輝 法律の勉強のため留学していたパリで画家に転向。印象派の技術を取りいれた新しい洋画を確立。代表作は「読書」、「湖畔」 1900年 パリ 万国博覧会で「湖畔」が展示
25 明治 与謝野晶子 「みだれ髪」でロマン主義の歌人としての地位を確立。「君死にたまふことなかれ」で反戦を歌にした。女性解放運動の活動もした。 1900年「みだれ髪」
1904年 「君死にたまふことなかれ」
明治 岡倉天心 1904年 ボストン美術館で美術品収集。後にボストン美術館の東洋部長となる。
26 明治 夏目漱石 イギリスに留学後、小説「吾輩は猫である」を発表し人気作家になる。 1905年 「吾輩は猫である」
明治 岡倉天心 1906年 「茶の本」を出版
27 明治 野口英世 伝染病研究所に勤務。渡米して研究をしていたが、黄熱病の研究中に自分も感染して亡くなった。 1918年頃から黄熱病の研究

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