猛暑と台風が多かった夏。
まだ日中の暑さは続いているなか、今年も9.11が来た。
2001年から23年目ということになる。
毎年、当時のことを思い出し考える。
自分はマレーシアのクアラルンプールにいて、
当日は残業のため、華人の同僚とオフィスで仕事をしていた。
たしか、テレビではなくネットでニュースを見たんじゃないかと思う。
一緒にいたCさんはニュースをそれほど気ににせず、ターミネーターの映画
になぜか興味を示していたように思う。
Cさんは普段からあまり動じることがなく、マイペース落ち着きがある
客家で日本人にはない大陸的な落ち着きをもっている人だった。
より深く考えさせられたのは翌日以降となる。
マレーシアの人たちの英語力は高い。
マレー系、中華系、インド系でお互いのコミュニティがあり、
文化や言語を維持する一方で英語が共通の言語になっている。
街中でタクシーに乗ると、その話題で持ちきりだった。
普通のタクシーの運転手が、昨日からずっと、CNN、
BBCを見ていると話しかけてくる。
自分が日本人だと知ると、「あれはトラトラトラだな」と
真珠湾攻撃の暗号を話してくる。
当時のクアラルンプールは、まだ日本軍に占領された記憶も
はっきりと残っていたのか、自分がぼんやりとしかしらない
暗号を言われたことに驚いた。
その後、会社のランチ等でも話題になることがあり、
結構、日本の真珠湾、パールハーバーじゃないかとという
切り口をよく聞いた。
(当時、日本にはいなかったのですが、国内ではそういう
論調はあったのだろうか。)
それに対して明確なコメントをすることができず、
モヤモヤした気持ちがあったが、華人の上司がうまく説明してくれた。
「日本の真珠湾攻撃は軍隊による軍需施設編の攻撃であって、
今回のような民間人を標的にしたテロとは異なる。」
明快なコメントになるほどと思いすっきりとした。
そして、そのような説明ができない自分の歴史などについての
知識や洞察のなさも思い知らされ、もっと勉強をして
自分もそういう考え方や話ができる人になりたいと思った。
海外にいくと、日本について意識し考えさせられることが多い。
(第二次世界大戦、大東亜共栄圏、太平洋戦争なども)
これは日本にいては感じることができな感覚であると思う。
この話は帰国後も、機会があればいろいろな人に話してきた。
戦前、戦中、戦後に日本の歴史についてはテレビ番組や本、ネット情報などで
知識を深めてきたつもりではあるが、