アメリカ出張中に会社の夏休みに入ってしまい、田舎に帰省をしていたので、しばらくブログの記事を書くことができませんでした。
今年の夏休みは嫁がお盆の渋滞を避けるためと、自由研究に海をテーマに選んだため3泊4日で実家に帰省することになり、中学1年生の息子が祖父母と勉強することについて、かなり話し込む時間を持つことができたのは予想外にうれしかったことです。
祖父母は戦前の生まれで兄弟姉妹が4人とか6人とか多い時代でしたが、末っ子だったり下から2番目だったりでしたが、兄や姉で大学進学をした人はいない環境で大学受験を昭和20年代の後半に経験しています。
当時は大学進学どころか、中卒で働く生徒も多い時代で、少子化となっている現在とは状況が全然異なっていますが、その時代の常識をめちゃくちゃ引きずってる祖父母が孫である長男になぜ勉強をするべきなのか、受験とはどういう厳しいものだったのかについて語っていました。
祖父は勉強も体育も成績がよかったために、周囲からも期待されて、東京で就職して働いていた兄を頼って上京し、あえて田舎を出て東京の高校(徳光アナウンサーと同級生だったそう)に進学し、野球で有名な東京の私立大学の雄といわれる大学の法学部に合格したそうです。
現在の学習院や法政のイメージや難易度について話をすると、かなりギャップがあるようです。
祖父のポイントは、しっかりとした高校に入学しないとだめだ。周りがヤンキーみたいな環境では、大学進学とか、どうにもならなくなるぞという感じです。
また、城西大学や帝京大学はまだ高校しかなかったという時代のイメージを持っています。あまり、どのように勉強したかについては語りませんが、立教大学を卒業した徳光アナウンサーより成績がよく勉強していたということだと思われます。
祖母は、祖父と同世代人ですが、特に勉強ができて優等生だったというわけでもなく、田舎の高校に進学していました。当時の田舎では、進学校やヤンキー高校という区別はあまりなく、同級生は就職するか、進学希望者は全員近所の高校に進学するような環境だったようです。
そんななかで、高校2年生の時県の作文の代表(青少年の主張とかいっていたような、3回だか4回予選を勝ち抜いたとか言っていたようです)になって、作文の全国大会に参加し、世の中は広いと感銘をうけて大学受験を決意。
その後、必死で勉強をして祖父と同じ大学の教育学部に合格しました。
もともと、大学進学を意識していたわけではなく、受験勉強の仕方もしらないところから、東京大学の大学院生が開催した講座に参加したとか、田舎でも本は入手できる。本に地域格差はないといって英語の勉強をめちゃくちゃした話をしていました。
英語の勉強については、よく語る人で、私も5文型を覚えれば英語は理解できるとか、英熟語(イディオム)を覚えなければ受験で戦えないとか、無理筋の受験勉強をやりきって結果も出したということをややひけらかしている感じがするくらいによく語っています。
国語や社会についてはあまり語っていませんが、作文が書けたということで国語はそれなりにできたんだろうということと、日本史はとにかく細かいところまで丸暗記をしたといった話をしていたことがあるので、それなりに何とかしたのだと推測します。
父親として息子には、彼が納得した生き方をしてほしいということであり、大学受験をゴールにするような考えはもってほしくないと思っています。
とは言え世間を渡っていくためには、突き抜けた才能や特技がないならば、大学に進学したほうがよいだろうとも思っています。
祖父はそれなりの勉強ができる学校に入ったほうがその後の息子のためだという考えを長男に話していて、息子にはちゃんと思いを受け止めてほしいものだと思いました。
祖母の話は、自分が聞いても時にバランスが悪いんじゃないかと思うこともあり、すべてが正しいとは思わないのですが、とにかく勉強を必死にしたこと、勉強は楽ではないがそれでもやらなければいけないんだということについての話は、ちゃんと受け止めてほしいものだと思います。
長男は、新しいことを勉強するのはいいけど、前の復習はいやなんだよねとかいうので、そんな姿勢だとだめだと思うと指摘すると、中間テストは思ったよりも成績が悪くて反省はしているし、次回はもっと成績が上がるはずとか、塾は嫌になったこともあるけど、9月からはもっと頑張るつもりとか、率直な考えを話していました。
この先どうなるか、わかりませんが、大人びた口をきき、よくしゃべる長男は、彼が20才になったら、祖父母と一緒にお酒を飲みたいと言っていました。
祖父は、その時まで元気でいるかなあとか、そのとき、しっかりしていないと嫌だとよと答えていましたが、その時まで祖父母には健康でいてもらいたいと思うのと、息子にはしっかりと勉強をして、充実した学生生活を送っていてほしいと願うのみです。